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◇IMCO
TRIPLEX SUPER 6700 ◇IMCO SAFTY 4200 職種別会社登記帳の掲載広告、1923年 |
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【オーストリア・イムコ】 トリプレックス スーパー 6700 |
◆製造終了から6年、現地オーストリアでも「未使用」状態のイムコは入手困難です。
イムコ・ライターの最も代表的なのがトリプレックス・スーパー(No.6700)。 1937年に製造された元祖TRIPLEXの継承モデルで、2012年製造終了の最後まで続いた 伝説的なライターです。
当時、包装もなく仕切りだけの紙箱に1ダース(12個)入った状態でバラ売りされていたため、 別途のハードケースに収納して発送します。
画像の背景はその紙箱。紙箱の底面に使用説明が印刷されていました。
◇サイズ:6(H)x3x1.5cm、重量:35.g
◇表示の価格は消費税、送料込の価格です。 |
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AUSTRIA-IMCO
TRIPLEXSUPER No.6700 \6,800<終:2018.3.08> |
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【オーストリア・イムコ】 セイフティ 4200 |
◆1935年に特許登録され、製造販売されたスキーザー・タイプのヴィンテージ品です。
日本に輸入された形跡はありません。 ZIPPOより小さく、重さも40g弱と軽い小ぶりのライターです。 サイド部を押すと、ガシャという音とともにキャップ部が上がり、同時に、ケース内部のインナータンクごと豪快にスライドして、発(着)火、非常に優れたメカ構造です。紙ケース入り ◇サイズ:5(H)x底3,ヘッド4x1cm、重量:40g |
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SAFTY4200LEF |
SAFTY4200PLM |
◆IMCO SAFTY 4200(イムコ)
「サイドを押す」というより、手のひらに乗せ、 「ぎゅっと握る」(Squeeser)感じで着火。 上画像:
IMCO SAFTY4200LEF \8,800 <終了>
MCO SAFTY4200PLM \8,800
<終了> |
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<参考(1)> |
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IMCO-I(y)fa |
特許申請書の図解 |
1997年版 ライターマニュアルより |
1937年 トリプレックス |
1935年セイフティ4200 |
*注)申請者名に注目:Hanns Silberknopf |
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オーストリア・イムコ(1) |
◎大人の女性ならだれもが知っている |
製造終了から5年以上経過。 なのに、本国オーストリア/ウィーンの女性(25歳以上)は皆、『IMCO』を知っていた。
抜群の知名度なのだけど・・・、どうも何かが違う、というかかみ合わない。
「10年くらい前まではどこの家庭の台所にぶら下げていた・置いてあった」なんて、 ライターをか?何のこっちゃみたいな。
現物を見せてもらい実演してもらって、この不思議IMCOに納得。 「炎の出ない、火花が出るだけ」のチャッカーマンだった。
どこもそう、だったらしいので、ウィーン市に限らず、集合住宅やマンション(石の建物、築何百年のモノ)に設置されていた台所ガスは押す・回すとガスは出るけれど、自動点火ではなかったという。
タバコを吸うための、炎の出るライターではなかった。
(この火花チャッカーマン、1990年代後半、「「フラッシュマスター」の品名で日本で販売してたそうです。) 下に画像あり:
IMCO社のフラッシュマスター TWC社のアンティーク・フラッシュマスター |
◎トレンチライターは立派なリサイクル品? |
イムコの有名な「Yfa(イーファ)」は、戦場兵士のライター、トレンチ・ライターの元祖です。
トレンチ(塹壕)は第1次世界大戦、特にドイツV英仏連合軍の「泥沼の戦い」戦法、トレンチ・コートの名称の源になったわけですが、驚くことに、誕生の地、ウィーンでは誰も「トレンチ・ライター」と呼びません。
さらに驚いたのは、IMCOイファに似た(イムコ社製ではない)ビンテージのトレンチ・ライターが無数にあるのです。刻印があるものないもの様々。 なかには、戦場に持っていった兵士がいたかもしれません。
しかし、イムコ社製でなかったことは確かです。
何故なら、イムコ社が「ライター」製造を始めたのは1918年、第1次世界大戦終了の年だから。
この当時、ウィーン市でライター製造販売会社は20社以上もあり、現在調べることのできる当時の職種別登記簿では、全ての会社名が「メタル製品製造販売」会社になっていたそうです。 別格の1社を除いて(*)。
イムコ社はその内の1社で、むしろライター製造が遅かったメーカーだったそう。 (1912年の職種別登録簿に初めて「ライター商品名」の広告が掲載されたそうです)。
1913年製の薬きょう型(ポケット)ライターは存在しているし、第1次世界大戦の敗戦時(1918年)、働き手の男が激減(100万人以上が戦死)、食糧不足の状態で、カラの「軍用ライフル・カートリッジ」をリサイクル使用することはむしろ当然で、有効利用しない方がおかしい・・・。
なんて教えられると、夢もロマンもないというか、兵士やミリタリーとは無縁の、『リサイクル&平和』産業商品に見えてきてしまう.・・・・のでした。 (*)この会社、他の家内工業の零細・中小規模「メタル商品」会社とは異なり、当時では数少ないビッグな「株式」会社で、現在も存続している(社名一部変更)し、今もここが元の商品、商品名(照明器具)は日本で販売されていて、皆さんも知っているはずです。 |
◇イムコ社の特許申請書ヘッド部(1920年) |
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◇正式社名:オーストリア ボタン&メタル製品製作所
I.Meister&CO(合資会社) ・ウィーン 1)1907年の創業者名Julius Meister の「J」が「I」に(打ち間違い?)なっている。
2)1911年、第2創業者、Bernhard Silberknopfが資本参加して「CO.」(英語表示)付き、になる。
このイニシアルで、IMCOの名称になっている。 3)1926年、Bernhard
Silberknopf が一人オーナー社長になり、息子のHanns Silberknopfが経営参加。 4)1931年、息子のHanns
Silberknopf がオーナーになる。
5)1935年、リタイアした(第2)創業者のBernhard
Silberknopf死亡(75歳) 6)1938年:第1次イムコ社は一旦、終了。
この年から、
イムコ社にとどまらず、多くのライター製造販売会社が苦難の道を歩むことになる。
悲劇的結末となるイムコ社に比べ、コリブリ・ライターで有名なドイツ/フランクフルトのJUBELO兄弟は、英国ロンドンに亡命し、両者とも自身のライター製造会社を創業しました。 |
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◇炎が出ないチャッカーマン(FUNKER=フンカー) |
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IMCO社のフンク(=火花)マスター、1990年後半 |
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ビンテージ TWC社ロゴのフンカー(火花器)、長さ24cm |
発火だけの台所用品、フラッシュマスター 上は1990〜2000年頃に日本で販売されていたもの(画像借用)。 下は、アンティークのフラッシュマスター。 上部を押すと先端に火花が散る仕組み。グリップは木製。 |
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FUNKER, MADE IN AUSTRIA |
TWC社ロゴ |
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オーストリア・イムコ(2) |
◎"Y"はドイツ語に無く、JとIが判読しにくい |
*)1907年にJulius
Meister(ユリウス・マイスター)が創業した、 *)元は金属メタルボタンの製造販売、ライター製造の開始は第1次大戦終戦の1918年、 位しか知らなかったので、兵士の「トレンチライター」でなかった事は分かった。
けれど、一体、イファー(Ifa,Yfa)やイムコ(IMCO)という、ドイツ語っぽくない名前は何の意味だったのだろう。
もう終わったことで今更なんですが、年配のウィーン人に聞いてみた。別段、イムコ社に関連した人ではないけれど、ここでも意外な事が判明した。
まず、イファの"Yfa,Ifa"(下の画像)について:
これは、I かJをを筆記体で崩してロゴマークにした、崩した筆記体風デザイン・ロゴだろう。 "Jfa"なら
J(ユリウス)の"Fa"(会社の略)で「ユリウスの会社」になり、つじつまが合う。 ドイツ語で"Y"で始まる言葉/単語はない。 英語圏の人には"Y"に見えるし、100年前の筆記体は英独仏それぞれ同じではなかった、だって筆(ペン)で書いた文字書体なのだから・・・。
そういえば、現在でも、機械彫刻でアルファベット筆記体のスタンダードで彫刻すると、大文字の"I"と"T"は判別いにくく、間違っているとクレームされたりする。
下の彫刻文字の画像を見れば、"Y"にしか読めないのだけれど。
じゃあ、どうして、J が I に変えられたのか?
推測だけれど、ドイツ語で"J(=ヨット)エム・ツェー・オー"とおかしな発音の言葉になるし、英語圏でもジェイ・エム・シー・オーとしか読めない。 なので、単純に"J"を"I"に置き換えではないか、との事だった。 |
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イーファ |
彫刻機の大文字筆記体標準 |
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なるほど、同じような混乱は、コリブリ・ライターでも起こっている:
*コリブリ(Colibri)社は、1928年英国ロンドンで創業
*創業者兄弟はドイツからのJulius(兄ユリウス,英語読みはジュリアス)
& Benno(弟ベノ) Lowenthal (ローヴェンタル)。
ロンドンでの会社名、Colibri Lighters Ltd.の登録は1928年。 現在日本で製造販売されている形状のコリブリライター(独特のキックスタート式)は1933年誕生。
という内容での紹介がほとんどです。 けれども、実際はイギリス人による創業・製造ではない。
Julius(ユリウス)さんもさすがに困ったのか、亡命先のロンドンでは英語でもドイツ語でもないスペイン語のハチドリ=コリブリ"を社名にしていますが、元々はドイツJBELO社の創業者兄弟です(ちなみに弟も独自のライター製造の"BELO"社を英国で創業)。
兄弟のイニシアル、J,Be,Lo
で"JBELO"。 ドイツ・フランクフルトで正式な社名は、Jbelo Pfeifenfabrik
AG(JBELOパイプ製作株式会社)、創業は1919年。 なのだけれど、第2次世界大戦後、元従業員だったドイツ人(Hermann
Zahn)が故郷の町でライター製造会社を創業します。 社名は「メタル製品製作所ヘルマン・ツァーン合資会社」ですが、戦前の"IBELO"名を屋号のようにして使い続けました。
この西ドイツの"IBELO"社は1960〜70年代、従業員300人を超える欧州最大のライター製造メーカーに発展しています。名品"IBELO-MONOPOL"ライターの底面刻印は"Jbelo"なのか"Ibelo"なのか判読できません。
参考:1990年頃のIBELO社建物の写真:◆ドイツ・オーストリア
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◎奇妙なIMCOという名称 |
しかし、まだまだ「不思議」は続きます。
おおよそドイツ語では聞きなれない"IMCO"、のCOの名、意味です。 ドイツ語にCO、Coはありません。
Julius Meister、(4年後に加わった)Bernhard Silberknopfさんの2人の共同出資会社なら、ドイツ語だと合資会社(Kommanditgesellschaft,略称
KG)で"IMKG"又は"IMKO"の名が筋です。 しかも、1926年にはBernhard
Silberknopf(ベルンハルト・シルバークノップ)さんが1人オーナーになっている。
と思ったら、イムコ程度のマイナーではなく、日本語の本まで出ているドイツ・ニュールンベルグ(おもちゃ玩具の街)のミニチュアカーで有名なシュコー(SCHUCO)社の社名の起源が次のように書かれてました。
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◎1912年、H.シュライヤーHeinrich Schreyer と、技術者H.・ミュラー
Heinrich Müllerにより玩具社(Spielzeugfirma)・シュライヤ&C0−"Schreyer&Co"を創業。
シュライヤーは第1次世界大戦従軍後の1918年に会社経営を退き、新たにA.カーン(Adolf Kahn)が経営参加。
1924年、Schreyer Und
Coのイニシアルから"Schuco (シュコー)"と社名を改名、とある。 ("Undは英語のand の意味)。
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鉄道ミニチュアで有名なメルクリン(Märklin)は創業者の姓そのままで、aの上に点々(ウムラウト)が付く。英語ではMerklinと"e"読みで呼ばれている。
先輩の創業経営者の姓イニシアルを残し、共同出資参加の2人目、3人目は「仲間たち」の意味で英語の"Co"を付け、社名にしてる。 このネーミング方法が、実は、IMCO社と全く同じなのです。
当時、英語読みが流行ってた事、インターナショナル(といってもは欧米のみ)に分かりやすい社名、名称がベストということが分かっていた。 特に、ニュールンベルグのおもちゃ玩具は1910年前後すでにアメリカでバカ売れの人気になっていて、今のトランプ(大統領)さんが日独の自動車メーカーにいちゃもんつけるように、アメリカ政府は「玩具おもちゃ」の関税を従来の倍以上に引き上げたりしてる。
備考: ライターに関する税金では、フランス(ベルギーも)が有名。 仏政府は1911-1938年の間、ライター税の名の税金を課していた、ちゃっかりしている。 輸入ライターにも、"MINISTRE FINANCES" 刻印で真ん中に肖像顔女神ミネルヴァの短い金属プレート(ライター本体の素材のグレードで異なる)を貼り付けるよう義務付けていた)。
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Jbeloなのか Ibeloなのか |
Richard Kohn1918, Imperatorの"I" |
Schuco シュコー本 |
ミルフラム 1000Zünderのロゴ |
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後で分かったことですが、消滅・破産・売却等々でほとんど残っていない第2次大戦前から戦後1980年頃まで、家業的に続いてきたドイツのメーカーにマルトナー家の"Mylflam"(ミルフラム)というのがあります。
フランクフルトの近くの『皮革製品の街』、オッフェンバッハ市で昔からベルト、カバン・バッグの付属金具や化粧品金具を製造販売していて、1910年頃に「火縄」ライター(革ベルトに金具を取り付けるのと同じ発想)を作り、その後、本格的にライター製造を始めたメーカーで、"1000Zünder"、「千回マッチ器」と、ドイツ人に分かりやすい商品名のライターでした。
その子孫が、 | |