【ビンテージ ライター】戦前オーストリア、イムコやドイツのアンティーク・ライター オーストリア(IMCO)イムコ TRIPLEX SUPER
オーストリア/ウィーンで入手したオリジナル イムコ、トリプレックススーパー、セイフティーなどの新品未使用品。
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◇IMCO TRIPLEX SUPER 6700
◇IMCO SAFTY 4200
職種別会社登記帳の掲載広告、1923年

【オーストリア・イムコ】 トリプレックス スーパー 6700
◆製造終了から6年、現地オーストリアでも「未使用」状態のイムコは入手困難です。
イムコ・ライターの最も代表的なのがトリプレックス・スーパー(No.6700)。
1937年に製造された元祖TRIPLEXの継承モデルで、2012年製造終了の最後まで続いた
伝説的なライターです。

当時、包装もなく仕切りだけの紙箱に1ダース(12個)入った状態でバラ売りされていたため、
別途のハードケースに収納して発送します。
画像の背景はその紙箱。紙箱の底面に使用説明が印刷されていました。
◇サイズ:6(H)x3x1.5cm、重量:35.g
◇表示の価格は消費税、送料込の価格です。
【イムコ ライター オーストリア製】トリプレックススーパー 6700 【イムコ ライター オーストリア製】トリプレックススーパー 6700a
【イムコ ライター オーストリア製】トリプレックススーパー 6700b
AUSTRIA-IMCO TRIPLEXSUPER No.6700 \6,800<終:2018.3.08>
【イムコ オーストリア製】トリプレックススーパー 6700c 【イムコ オーストリア製】トリプレックススーパー 6700d 【イムコ オーストリア製】トリプレックススーパー 6700g
【イムコ オーストリア製】トリプレックススーパー 6700f 【イムコ オーストリア製】トリプレックススーパー 6700e
各パーツ、アップ画像 保護ケース入り
イムコ・ジュニア掲載ページ  
 
【オーストリア・イムコ】 セイフティ 4200
1935年に特許登録され、製造販売されたスキーザー・タイプのヴィンテージ品です。
日本に輸入された形跡はありません。
ZIPPOより小さく、重さも40g弱と軽い小ぶりのライターです。
サイド部を押すと、ガシャという音とともにキャップ部が上がり、同時に、ケース内部のインナータンクごと豪快にスライドして、発(着)火、非常に優れたメカ構造です。紙ケース入り

◇サイズ:5(H)x底3,ヘッド4x1cm、重量:40g
【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200 【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200 1a 【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200 2a
SAFTY4200LEF SAFTY4200PLM
IMCO SAFTY 4200(イムコ)
「サイドを押す」というより、手のひらに乗せ、
「ぎゅっと握る」(Squeeser)感じで着火。
上画像:
IMCO SAFTY4200LEF \8,800 <終了>
MCO SAFTY4200PLM \8,800  <終了>
 
【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200 1b 【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200 2b  【イムコ ライター オーストリア製】SAFTY(セイフティー) 4200c
リーフ柄 パルム柄 オイルタンク部
 【イムコ オーストリア製】SAFTY/セイフティー 4200d 【イムコ オーストリア製】SAFTY/セイフティー 4200e 【イムコ オーストリア製】SAFTY/セイフティー 4200f
挟みギュっと握るとガシャと動いて着火します 底部
  
<参考(1)>
  【イムコ オーストリア製】トリプレックスPAT  【イムコ オーストリア製】SAFTY/セイフティー 4200PAT 
IMCO-I(y)fa  特許申請書の図解
1997年版
ライターマニュアルより
1937年 トリプレックス 1935年セイフティ4200
*注)申請者名に注目:Hanns Silberknopf
  
オーストリア・イムコ(1)
◎大人の女性ならだれもが知っている
製造終了から5年以上経過。
なのに、本国オーストリア/ウィーンの女性(25歳以上)は皆、『IMCO』を知っていた。
抜群の知名度なのだけど・・・、どうも何かが違う、というかかみ合わない。
「10年くらい前まではどこの家庭の台所にぶら下げていた・置いてあった」なんて、
ライターをか?何のこっちゃみたいな。
現物を見せてもらい実演してもらって、この不思議IMCOに納得。
「炎の出ない、火花が出るだけ」のチャッカーマンだった。
どこもそう、だったらしいので、ウィーン市に限らず、集合住宅やマンション(石の建物、築何百年のモノ)に設置されていた台所ガスは押す・回すとガスは出るけれど、自動点火ではなかったという。
タバコを吸うための、炎の出るライターではなかった。
(この火花チャッカーマン、1990年代後半、「「フラッシュマスター」の品名で日本で販売してたそうです。)
下に画像あり:
IMCO社のフラッシュマスター
TWC社のアンティーク・フラッシュマスター
◎トレンチライターは立派なリサイクル品?
イムコの有名な「Yfa(イーファ)」は、戦場兵士のライター、トレンチ・ライターの元祖です。
トレンチ(塹壕)は第1次世界大戦、特にドイツV英仏連合軍の「泥沼の戦い」戦法、トレンチ・コートの名称の源になったわけですが、驚くことに、誕生の地、ウィーンでは誰も「トレンチ・ライター」と呼びません。
さらに驚いたのは、IMCOイファに似た(イムコ社製ではない)ビンテージのトレンチ・ライターが無数にあるのです。刻印があるものないもの様々。
なかには、戦場に持っていった兵士がいたかもしれません。
しかし、イムコ社製でなかったことは確かです。
何故なら、イムコ社が「ライター」製造を始めたのは1918年、
第1次世界大戦終了の年だから。
 
この当時、ウィーン市でライター製造販売会社は20社以上もあり、現在調べることのできる当時の職種別登記簿では、全ての会社名が「メタル製品製造販売」会社になっていたそうです。
別格の1社を除いて(*)。
イムコ社はその内の1社で、むしろライター製造が遅かったメーカーだったそう。
(1912年の職種別登録簿に初めて「ライター商品名」の広告が掲載されたそうです)。
 
1913年製の薬きょう型(ポケット)ライターは存在しているし、第1次世界大戦の敗戦時(1918年)、働き手の男が激減(100万人以上が戦死)、食糧不足の状態で、カラの「軍用ライフル・カートリッジ」をリサイクル使用することはむしろ当然で、有効利用しない方がおかしい・・・。
なんて教えられると、夢もロマンもないというか、兵士やミリタリーとは無縁の、『リサイクル&平和』産業商品に見えてきてしまう.・・・・のでした。
  
(*)この会社、他の家内工業の零細・中小規模「メタル商品」会社とは異なり、当時では数少ないビッグな「株式」会社で、現在も存続している(社名一部変更)し、今もここが元の商品、商品名(照明器具)は日本で販売されていて、皆さんも知っているはずです。
◇イムコ社の特許申請書ヘッド部(1920年)

  
◇正式社名:オーストリア ボタン&メタル製品製作所 I.Meister&CO(合資会社) ・ウィーン
1)1907年の創業者名Julius Meister の「J」が「I」に(打ち間違い?)なっている。
2)1911年、第2創業者、Bernhard Silberknopfが資本参加して「CO.」(英語表示)付き、になる。
このイニシアルで、IMCOの名称になっている。

3)1926年、Bernhard Silberknopf が一人オーナー社長になり、息子のHanns Silberknopfが経営参加。
4)1931年、息子のHanns Silberknopf がオーナーになる
5)1935年、リタイアした(第2)創業者のBernhard Silberknopf死亡(75歳)
6)1938年:第1次イムコ社は一旦、終了。
この年から、 イムコ社にとどまらず、多くのライター製造販売会社が苦難の道を歩むことになる。
悲劇的結末となるイムコ社に比べ、コリブリ・ライターで有名なドイツ/フランクフルトのJUBELO兄弟は、英国ロンドンに亡命し、両者とも自身のライター製造会社を創業しました
◇炎が出ないチャッカーマン(FUNKER=フンカー)
IMCO社のフンク(=火花)マスター、1990年後半
 ビンテージ TWC社ロゴのフンカー(火花器)、長さ24cm
発火だけの台所用品、フラッシュマスター
上は1990〜2000年頃に日本で販売されていたもの(画像借用)。
下は、アンティークのフラッシュマスター。
上部を押すと先端に火花が散る仕組み。グリップは木製。
 
FUNKER, MADE IN AUSTRIA   TWC社ロゴ
  
オーストリア・イムコ(2)
◎"Y"はドイツ語に無く、JとIが判読しにくい
*)1907年にJulius Meister(ユリウス・マイスター)が創業した、
*)元は金属メタルボタンの製造販売、ライター製造の開始は第1次大戦終戦の1918年、
位しか知らなかったので、兵士の「トレンチライター」でなかった
事は分かった。
 

けれど、一体、イファー(Ifa,Yfa)やイムコ(IMCO)という、ドイツ語っぽくない名前は何の意味だったのだろう。
もう終わったことで今更なんですが、年配のウィーン人に聞いてみた。別段、イムコ社に関連した人ではないけれど、ここでも意外な事が判明した。
まず、イファの"Yfa,Ifa"(下の画像)について:
これは、I かJをを筆記体で崩してロゴマークにした、崩した筆記体風デザイン・ロゴだろう。
"Jfa"なら J(ユリウス)の"Fa"(会社の略)で「ユリウスの会社」になり、つじつまが合う。
ドイツ語で"Y"で始まる言葉/単語はない。
英語圏の人には"Y"に見えるし、100年前の筆記体は英独仏それぞれ同じではなかった、だって筆(ペン)で書いた文字書体なのだから・・・。

そういえば、現在でも、機械彫刻でアルファベット筆記体のスタンダードで彫刻すると、大文字の"I"と"T"は判別いにくく、間違っているとクレームされたりする。
下の彫刻文字の画像を見れば、"Y"にしか読めないのだけれど。
じゃあ、どうして、J が I に変えられたのか?
推測だけれど、ドイツ語で"J(=ヨット)エム・ツェー・オー"とおかしな発音の言葉になるし、英語圏でもジェイ・エム・シー・オーとしか読めない。
なので、単純に
"J"を"I"に置き換えではないか、との事だった。
lt-austria-imco/20170308-pic1-a.jpg
イーファ 彫刻機の大文字筆記体標準
なるほど、同じような混乱は、コリブリ・ライターでも起こっている:
*コリブリ(Colibri)社は、1928年英国ロンドンで創業
*創業者兄弟はドイツからの
Julius(兄ユリウス,英語読みはジュリアス) & Benno(弟ベノ) Lowenthal (ローヴェンタル)。
ロンドンでの会社名、Colibri Lighters Ltd.の登録は1928年。
現在日本で製造販売されている形状のコリブリライター(独特のキックスタート式)は1933年誕生。
という内容での紹介がほとんどです。
  
けれども、実際はイギリス人による創業・製造ではない。

Julius(ユリウス)さんもさすがに困ったのか、亡命先のロンドンでは英語でもドイツ語でもないスペイン語のハチドリ=コリブリ"を社名にしていますが、元々はドイツJBELO社の創業者兄弟です(ちなみに弟も独自のライター製造の"BELO"社を英国で創業)。

兄弟のイニシアル、J,Be,Lo で"JBELO"。
ドイツ・フランクフルトで正式な社名は、Jbelo Pfeifenfabrik AG(JBELOパイプ製作株式会社)、創業は1919年。
なのだけれど、第2次世界大戦後、元従業員だったドイツ人(Hermann Zahn)が故郷の町でライター製造会社を創業します。
社名は「メタル製品製作所ヘルマン・ツァーン合資会社」ですが、戦前の"IBELO"名を屋号のようにして使い続けました。
この西ドイツの"IBELO"社は1960〜70年代、従業員300人を超える欧州最大のライター製造メーカーに発展しています。名品"IBELO-MONOPOL"ライターの底面刻印は"Jbelo"なのか"Ibelo"なのか判読できません。

参考:1990年頃のIBELO社建物の写真:
ドイツ・オーストリア

  
◎奇妙なIMCOという名称
しかし、まだまだ「不思議」は続きます。
おおよそドイツ語では聞きなれない"IMCO"、のCOの名、意味です。
ドイツ語にCO、Coはありません。
Julius Meister、(4年後に加わった)Bernhard Silberknopfさんの2人の共同出資会社なら、ドイツ語だと合資会社(Kommanditgesellschaft,略称 KG)で"IMKG"又は"IMKO"の名が筋です。
しかも、1926年にはBernhard Silberknopf(ベルンハルト・シルバークノップ)さんが1人オーナーになっている。
 
と思ったら、イムコ程度のマイナーではなく、日本語の本まで出ているドイツ・ニュールンベルグ(おもちゃ玩具の街)のミニチュアカーで有名なシュコー(SCHUCO)社の社名の起源が次のように書かれてました
----------------------------
◎1912年、H.シュライヤーHeinrich Schreyer と、技術者H.・ミュラー Heinrich Müllerにより玩具社(Spielzeugfirma)・シュライヤ&C0−"Schreyer&Co"を創業。
シュライヤーは第1次世界大戦従軍後の1918年に会社経営を退き、新たにA.カーン(Adolf Kahn)が経営参加。
1924年、Schreyer Und Coのイニシアルから"Schuco (シュコー)"と社名を改名、とある。
("Undは英語のand の意味)。
----------------------------

鉄道ミニチュアで有名なメルクリン(Märklin)は創業者の姓そのままで、aの上に点々(ウムラウト)が付く。英語ではMerklinと"e"読みで呼ばれている。

  
先輩の創業経営者の姓イニシアルを残し、共同出資参加の2人目、3人目は「仲間たち」の意味で英語の"Co"を付け、社名にしてる。
 
このネーミング方法が、実は、IMCO社と全く同じなのです。
当時、英語読みが流行ってた事、インターナショナル(といってもは欧米のみ)に分かりやすい社名、名称がベストということが分かっていた。
特に、ニュールンベルグのおもちゃ玩具は1910年前後すでにアメリカでバカ売れの人気になっていて、今のトランプ(大統領)さんが日独の自動車メーカーにいちゃもんつけるように、アメリカ政府は「玩具おもちゃ」の関税を従来の倍以上に引き上げたりしてる。
  
備考:
ライターに関する税金では、フランス(ベルギーも)が有名。
仏政府は1911-1938年の間、ライター税の名の税金を課していた、ちゃっかりしている。
輸入ライターにも、"MINISTRE FINANCES" 刻印で真ん中に肖像顔女神ミネルヴァの短い金属プレート(ライター本体の素材のグレードで異なる)を貼り付けるよう義務付けていた)。
 
Jbeloなのか
Ibeloなのか
Richard Kohn1918,
Imperatorの"I"
Schuco
シュコー本
ミルフラム
 1000Zünderのロゴ
後で分かったことですが、消滅・破産・売却等々でほとんど残っていない第2次大戦前から戦後1980年頃まで、家業的に続いてきたドイツのメーカーにマルトナー家の"Mylflam"(ミルフラム)というのがあります。
フランクフルトの近くの『皮革製品の街』、オッフェンバッハ市で昔からベルト、カバン・バッグの付属金具や化粧品金具を製造販売していて、1910年頃に「火縄」ライター(革ベルトに金具を取り付けるのと同じ発想)を作り、その後、本格的にライター製造を始めたメーカーで、"1000Zünder"、「千回マッチ器」と、ドイツ人に分かりやすい商品名のライターでした
その子孫が、、歴史・工場、記念館の様子をHPに掲載していて、その中で、当時、"1000Zünder"ではドイツ語圏以外通用しないので、
*
)üのようなドイツ語の特殊文字は避ける
*)インターナショナルに誰でも分かるネームにする
ということで、ラテン語(スペイン語も)で1万(10,000)を意味する"Myl"と、炎のFlame(独仏語はFlamme)を組み合わせて"Mylflam"造語が生まれたと紹介しています。
  

参考:ミルフラムのページ:
http://www.mylflam.de/index.html
トップページに昔のモノクロCMビデオが流れるので、ヘェー、当時にテレビCMかぁ〜とちょっと驚が、なんと映画館での前座のCMだったそうです(
1963-1965年)。
  
オーストリア・イムコ(3)
◎トリプレックス誕生&オーナー社長自殺
IMCO二代目オーナー社長Hanns Silberknopfは、1937年、ラテン語(英語も同じ)名の"TRIPLEX"(トリプレックス)ライターを特許申請し、製造をはじめます。
が、翌年の1938年、自殺。
父の創業者(Bernhard Silberknopf)は1935年に他界し、当時のウィーン新聞の告別式(死亡)広告欄に掲載されていた事が確認されています。
ところが二代目についての葬儀記録などは在りません。

この年、ヒトラー・ナチス政権がオーストリアを合併(アンシュルス)し、ユダヤ系だった社長はこの事に絶望して自殺したとの事です。
しかし、彼の『トリプレックス』は、(一部改良され)2012年まで続きました。
 
まさかこんなところで「ヒトラー」が出てくるとは・・・、想定外の事ですが、事実です。
1938年から敗戦1945年、その後の4ケ国占領統治の1950年(正式な独立は1955年)まで、イムコ社を含む、ウィーンのライター製造業は麻痺状態でした。ヒトラー・ドイツへの軍事協力が優先され、真鍮・綿不足のため、ライターは兵士用の簡素なもののみでした(下に当時の独軍の兵士用ライター掲載)。
当時、規模の大きなユダヤ人のライターメーカーはオーナー追放、工場没収と払下げ、社名変更で、優先されて操業出来ていましたが、ボス自殺のイムコ社は全く無視されていたようです。
二代目オーナーのボス自殺後、会社は従業員の2人が共同代表になって引き継がれていきます。
 
つまり、トレンチライター、トリプレックスの『イムコ』は、おおよそ軍用・兵士用とは縁遠いライターだった訳です。第1次世界大戦後から第2次世界大戦開戦までの平和時代(1918-1940年)にウィーンの街で花開いたライター産業は終焉します。
<1937年 トルプレックス1stモデル>
IMCO イムコ  トリプレックス 1st 広告
IMCO トリプレックス1stModel 広告:ワンハンドアクション
TRIPLEX(トリプレックス):凸部のボタンを押して上に引き上げ、背面にフリントを収納。
インナーは当時、3つのパーツからなり、金具で止めた綿を差し込みキャップで閉める円筒でした。
◎併合前・中・大戦後のIMCO社の特許申請、申請者名に注目
【イムコ】トルプレックス1937年 【イムコ】トルプレックス1940年 【イムコ】トルプレックス1954年
1937年オーストリア国
申請者:二代目ボス名
 
1938/1941年ドイツ国
申請登録:匿名希望
 
1954年:オーストリア国
申請者:2人の共同代表名
 
   
上図は 左から:併合前、併合後、世界大戦後9年後の1954年3月のトリプレックス特許申請書
の冒頭部です。 
1)1937年7月、オーストリア特許庁へ、IMCO二代目オーナー社長Hanns Silberknopf名。
2)併合後の1938年6月末、ドイツ国特許庁への異様な申請書、1940年5月発効。
『 申請者は匿名を希望』と書かれている。
会社名の申告記載は、Oesterr.Knopf-Metallwarefabrik J.Meister und Co.in Wien
併合前の国名(ÖSTERREICH)は使用禁止になったため、わざとOesterr.に変更記載。
3)1954年3月、イムコ社共同代表2人名での申請書、内容はTRIPLEX(トリプレックス)の改良、現在のフリント収納への開閉式に変更。1955年7月発効。
敗戦後、日本ならオキュパイド・ジャパン"occupied JAPAN"ライターが輸出されていたが、オーストリアの場合、敗戦時点の名称はドイツ国オストマルク(州)で、国とウィーン市は英仏米ソ連の4分割占領になり、「国名無し」状態だった。
正式にオーストリア共和国になったのは1955年。特許申告はそれを見はらって行われた模様。
  
◎混乱のボトム刻印
AUSTRIAの国名がなくなり、母国語"ÖSTERREICH"は口にするすること自体、禁止になりました。
それまで当然のように刻印してきた"MADE IN AUSTRIA"はNGです。
"MADE IN GERMANY"と表示刻印のライターはあります。
他には、MADE IN 表示を刻印しない手もあり、当時のTRIPLEXの底面刻印を見ると、併合後は、"PATENT AUSTRIA"や、その下にドイツのDマークを刻印したり、色々です。
下の底面画像の一番左は機械でわざと十字(X)線を入れて「うやむや」にしています。
これら以外、"MADE IN AUSTRIA"の上に"MADE IN GERMANY"を重ね刻印して読めなくしたものもあったそうです。
ご法度の"Österreich"紋章
風防部は取り外せるように細工
左2つは"PATENT/MADE IN AUSTRIA"、
右2つは"PATENT AUSTRIA"、右2つ目は"D"印

さらに、ややこしいのは1945年敗戦後の10年間です。
敗戦以降、国名が不明、宙ぶらりん状態になります。
敗戦時のドイツ「オストマルク」州なのか、併合前の「オーストリア」国なのか、それとも新たらしい国名になるのか、はっきりしませんでした。
当時のイムコ社はウィーン市フランス占領管轄区に入っていたので、"FRENCH ZONE"と刻印されているのもあったそうです。
    
<余談:JBELOのコリブリ>
"J"読みで(上に記した)コリブリ社のJulius Lowenthal(ドイツ人、1928年英国ロンドン創業、1933年コリブリ初製造)の不思議さも分かることになりました。
当時の英国製ライターはダンヒル・ユニークライターに代表されるアーム式がほとんどで、おおよそコリブリとは異なっているし、ドイツ生まれ、ドイツ人で渡英して作った「コリブリ」がなんでスイス製なの?という疑問は、結局のところ彼ら兄弟がユダヤ人家系の出身で、資産・工場没収や迫害を受ける前にロンドンに会社を作っていた、ドイツ時代から関係あったスイスの工場に製造を依頼した、ということでした。
但し、キックバック(着火)システム自体は当時の英国に存在していました。
  
当時の社員で、戦後の西ドイツJBELO社オーナーが明かした話では、彼らドイツ人従業員が身の危険を感じながらなんとか兄弟をロンドン行きの飛行機に乗せ、亡命を手助けしたとの事です。
  
オーストリア・ライターヒストリー(1)
◆私たちが知っているライターの名前といえば、米国ZIPPO社、ロンソン、コリブリ、カランダッシュ、デュポン、ダンヒル、カルティエ等などですが、有名どころの米国ジッポー社の操業開始は1933年。
米国ロンソン社が早かったといっても1920年後半です。
 
◎隠れた「小さな巨人」、アウァメタル
ところが、ヨーロッパ(特にオーストリア)では1905年頃より製造販売されていました。
10〜20年ものタイムラグ! 一体、何が原因?
「アウァメタル」の発明者、化学者&事業者がウィーン人だったからです。
「アウァメタル」というのはフリント(発火)石のこと。
カール.アウアフォンヴェルスバッハ(Carl Auer von Welsbach)=「欧州のエジソン」みたいな人物が発火効率の高い『フリント石』を発明し特許を取った、1903年です。
彼の名をとって「アウァメタル」とも呼ばれました。
もちろん、この人物はライターに興味があったわけでなく、レアアースの研究をもとにフィラメント電球、白熱電球、今も現在も日本で販売されている蛍光灯、三菱電器オスラム、=OSRAMの名付け親、商標所有者でした(1929年没)。
当時、彼がウィーンで創業したTREIBACHER CHEMISCHE WERKE AG(トライバッハー化学工業株式会社、トライバッハーは地名、1898年創業)は、今もオーストリア南部の地で存続し、最先端のレアアース研究や製造を手掛けているし(現在の社名は、TREIBACHER  INDUSTRIE AG(所有法人は別)、フリント石はいまだに製造しています。
何年、何十年の間か分からないけど、世界の全フリント式オイルとガスライターはこの会社製フリント、又はライセンス品を使っていた訳だから、独占販売、もうそれだけでウハウハ大儲けです。
 
笑い話になりますが、デュポンライター(ガス式)を買い、フリントがなくなってしまったのでフリントを1枚(シート)買ったら、Dupontのロゴの他にMade in Austria とプリントされていた。
それをオーストラリアと勘違いして、「さすがフランスのデュポン! フリントはわざわざオーストラリアで作らせてるんだ」。鉄鉱石と間違ってるのかも?だけど、実はそのフリント石は「アウァーメタル」、TREIBACHER  INDUSTRIE AG社製です(下に画像)。
これ、2016年の話です。
 
1903年の発明後、後は、火花を散らす鉄製ヤスリとオイルを入れる綿入りタンクがあれば「ライター」です。
 
◎PAT(特許)刻印競争
メタル製品といっても様々で、イムコ社のようにボタン製造もあれば、「髭剃り」や「食器」の日用品類、玩具から豪邸の鉄製柵、置時計の台座の類まで、そういうモノを作っていた職人さん(親方・弟子・見習い)の体制はしっかりと出来上がっていたので、たやすく作れました
当時のモノには笑ってしまうような奇抜でアートなテーブル(室内用)ライターもあるし、こっちの(大きな)方が高く売れたんで、職人さんたちも喜んだだろうなあって想像します。
 
ただ、元々、宮廷や貴族御用達商人の指示依頼を受けて職人さん達が作ったので、自分の商標や社名の刻印などは念頭になかったわけで、例えば、TREIBACHER CHEMISCHE WERKE AG社販売のライターは底面に当時のTCW社ロゴマークと商品名の刻印のみだった。
今でいう「下請け」製造、それも丸投げ製品なわけで、名前だけが「TCW」社製
(TCWのビンテージ・ライターをコツコツ調べ上げ、誰が作ったかを特定した人もいる)。
 
 
その後、競争が激しくなると、零細の製造販売会社も特許申請、ライターの底面に、名前、PAT(特許申請)の刻印を入れるようになり、面白い刻印が色々あるし、何年の製造モノの判定を迷わせたりしてる。
例えば:
-PATの登録申請日を刻印(これを製造年月日と間違って解釈することがある)、
-PAT申請済み:正式な認可なしでも刻印
-PROV.PAT:暫定的な申請(とりあえず仮申請してるよ、って事みたい)
-PAT PEND. :申請済未認可(ウェイティング状態ってことみたい)
(有名どころでは第2次世界大戦中から朝鮮戦争の時代、米国兵士向けに販売されたダンヒルUSA社製のサービスライター(ほぼイムコ社のパクリ品)は、PAT PEND と刻印されてるし、1950年前半期のZIPPOも同じ刻印表示です。
 
◎最高に面白いヴィンテージライターの底面刻印例:
------------------------------
S.D. PATENT
PATENTED ALL OVER THE WORLD
PATENT GRANTED IN ENGLAND ST.OF AMERICA, GERMANY, FRANCE, ITALY, AUSTRIA,
HUNGARY, RUSSIA, SWITZ, BELGIUM, SWEDEN & ALL OVER THE WORLD
------------------------------
1個のライターに、です。
 
1910〜1938年頃まで、とりわけ新興国アメリカのニーズが膨大で、米国で特許申請する(真似されない)、英国でも特許申請する(英国経由の米国行き対策)のが当たり前になっていた。
イムコ社の輸出ライターが国内やヨーロッパよりもアメリカで人気になり、今も当時のライターの多くが米国に残っている、イムコを有名にしたのは米国だったかもしれません。
ライター底面の刻印スタイルもオーストリア製に倣えで、後発メーカーの米国ロンソン社、ZIPPO社も、同じようにPAT登録番号、州名や地名を入れている。
後発メーカー、ZIPPO社のエライところは、(第2次世界大戦の戦後のズーと後だけど)刻印で製造年月が判るようにしたこと。
もしも1910年又は以前のオーストリア・ライターに製造の年月が刻印されてて国際標準になってたら・・・、後の人々による年代(鑑定)判定が楽だったのだけれど。
デュポン現行フリント
Made in Austria
PAT PEND 米国製
ダンヒル軍用ライター
ZIPPO社現行1937,1941
 PATENT登録番号刻
  
オーストリア・ライターヒストリー(2)
◆1920年前後期、もちろん大国の仏・英・独でもライター製造会社は幾つも現れています。しかし、一つの都市で、集中して20数社もあったのはウィーン市だけです。
例えば、ドイツだと、包丁(ヘンケル)刃物、爪切りなど金物産地で有名なゾーリンゲン市、玩具や文具で有名なニュールンベルグ市、フランクフルト周辺の小物加工産業地域オッフェンバッハ市等々、「なるほど」なルーツで各数社ですが、分散しています。
  
一つの町(街)にメーカーが沢山あれば、同じパーツを共用して、「似たり寄ったり」のライターが作れます。トレンチライターの空薬きょうだって、まずそれを集めて卸す業者がいないと作れない訳ですから。
イムコのトレンチライターのようなモノが(刻印あり、刻印無し)がいくつもあるのは当然です。
  
それから、「真似て作る」という事では、「土地(街)柄」になって反映されます。
例えば、英国ロンドンではどのメーカーもダンヒル1stModelに代表されるリフトアーム(先端がウィックをカバーするキャップ部)式ライターです。
一つの新モデルが出れば、それをベースに「似たような」モノを、そしてさらに改良・進化させていくといった競争が、各街(地域)であったことが分かります。
ウィーンのメーカーの場合、1938年のヒトラーの併合そして第2次世界大戦で、中断・破壊されます。
  
刻印表示のある当時ライターの幾つもの製造者(社)が、戦争後にはなくなってます。
イムコ社のようにボス自身が自殺とか、コリブリ社のように創業者兄弟がロンドンへ移住(亡命)創業とか、戦後に工場土地や特許の所有権を返還とかは、まだ記録が残っているだけマシなのかもしれません。
「行方不明」、「戻らず」のメーカーも少なくなく、ライターだけが残っている。
 
たとえ「戦争終了・工場返還」になったからといって、10年近くの空白は埋めようがない訳だし、4つのゾーンに分割占領(英仏米ソ連)された街が元に戻った1955年の僅か数年後、世界は新しい主流、ガス式ライターが登場します。
1930/40年代のユニークな広告、パッケージ(INGAD)
◇参考:1938年頃のINGAD社ライター工場での製造模様を撮影した英国人のフィルムです。
徴兵動員のためか大半は女性工員さん達です。
http://www.britishpathe.com/video/gerate-des-alltags-das-feurzeug/query/lighter
  
結局、第二次世界大戦中、真鍮などの資材不足で(海外派遣の兵士用優先で)国内で市販できなかった米国のライターメーカの悩みなど、欧州メーカーには贅沢に映ります。
1933年に初めて1stModelを作ったZIPPO社は、1937年(フラットケース)、1941年(コーナーがラウンドのケース)に新モデルを出している。
ロンソン社は1943年にNEW「スタンダード」(本体の上からプッシュして着火)モデルを開発し、戦後は、同じ着火システムでガス式モデルを作って世界のライター市場で中心的な存在になります。
その後、ガス式ライターは日本製も台頭し、1964年の東京オリンピックでは、訪日外国人用の「おみやげ」品に東京都がリストアップするほどメジャーになってました(当時復刻版:プリンス・ライター)。
 
さらにその後、今度は、圧倒的な宣伝・情報でZIPPO社の歴史、創業者から家族までのストーリーを教えられ、他方で、宝飾系の装いの欧州高級ガスライターを手にすることになります。
オーストリア・ライターで唯一、21世紀初めまで生き残ったイムコ社ライターが「欧州の隠れた名品」と称されるのは、それ位に、情報や見聞きする機会がなかったということの裏返しだったのかもしれません。
◎ライターの街?
過去の事とはいえ、一時そんなにオイルライターが隆興を極めた街なら「○○の町」みたいな感じで、呼ばれたり何らかの見世物が残されていたりとか・・・。
残念ですが、ウィーン市には何もありません。
1960年代には、街中に製造工場は作れなくなってるし、機械設備が大型化しているので、1960年後半にはウィーン市内から郊外に移転してしまってた。
スイスのライター、トーレンス社は、元々からオルゴール製造産業地(村)だったので、今は村全体が「オルゴール」観光地に変身できてます。
けれど、ウィーン市は「音楽の都」なわけで、ライターなどではとても太刀打ちできない。
  
<参考>第2次世界大戦ドイツ軍兵士のライター
◆第2次世界大戦中の独軍兵士用ライター、オリジナルです。
負傷兵の治療に大量の脱脂綿が必要になり、「綿」不足。
ライタータンク用「綿」は「布切れ半端モノ」が代用に詰め込まれてました。
こんなドイツ軍「兵士のライター」、しかも第2次大戦期です。
おおよそ第1次世界大戦で生まれたという『トレンチ・ライター』とは無縁です。
◆ライターの製造メーカーはWIFEU社(Wiener Feuerzeug- und Metallwarenfabrik,ウィーン ライター&メタル製品製作所の略)。
元は、1921年創業の「ベルンハルト(兄弟)ライター・髭剃り機具・メタル品製作所(Firma Charles & Ed. Bernhardt Fabrik fuer Feuerzeuge, Rasierapparate und Metallwaren)。
社名に「ライター製作」を入れたウィーンの製作会社では当時、早い方でした。
しかし、ヒトラーのオーストリア「ドイツ合併、1938年」により、ユダヤ人扱いのベルンハルト兄弟はロンドンに亡命します。
経営陣は一新され、社名は(WIFEU)に変更。
一般のライターの他、ドイツ軍用ライターを製造しました。
敗戦後の1947年、特許・商標・所有権はベルンハルト(兄弟)に返還。
WIFEU社は消滅しますが、WIFIUのロゴマークは継続。1970年前、会社は閉鎖・終了しました。
  
AUSTRIA IMCO 各ページ
【IMCO オーストリア製】イムコ トリプレックススーパー 6700
TRIPLEX SUPER/SAFTY TRIPLEX 1937年 IMCO(1960〜1990年)
 
 ビンテージライター/AUSTRIA&EURO
A.カウフマン1930年代  INGAD(A.ドゥブスキー)1930/40 ドイツオーストア他
イムコ(1960〜1990年) イムコ TRIPLEX(1937年) イムコ TRIPLEX SUPER
  


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